飼育方針

「松原ステーブルスに来たからには、全頭が幸せに暮らしてほしい。」これが、私たちの願いです。

殺処分寸前だったということは、松原ステーブルスにやってくる馬たち全頭に共通しています。けれども、殺処分寸前になった理由は違います。乗馬や遊園地で不要とされたから、健康なのに殺処分寸前だった馬もいます。また、バリバリ現役だったのに、骨折や屈腱炎が理由だった馬もいます。

限られた人材、限られた資金、限られた施設の中で、馬たちが、できるだけ快適に、より健康に余生を過ごせるよう努めています。

馬たちの餌

朝7時半頃に朝飼い、昼12時すぎに夜飼い、夕方4時頃におやつとして野菜や乾燥牧草をあげています。朝一番に、厩舎の見回りをする松原場長が、馬1頭1頭の様子や体調を見て、その日の飼い葉の内容を決めています。奥歯がすり減った馬や噛み切るのが苦手な馬には、固い食材は細切りにしています。飼い葉の準備が整い、時間になると、1頭1頭間違えないように飼い葉桶を運びます。

馬たちには1頭ずつ水桶があり、減り具合を確認しながら、水を足しています。

馬房の掃除

馬房には「もみ殻」が厚く敷き詰められていて、減り具合を見て足す他、定期的に全部を入れ替えています。「わら」や「おが」を使う牧場も多いですが、米どころ新潟で手に入りやすい「もみ殻」を使っています。メリットもデメリットもあります。

また、「ボロ取り」は、馬たちが餌を食べている時や、馬たちが外に出ている時に行います。ボロを取りやすいのは、もみ殻のメリットのひとつです。

放牧や運動

状況により、なるべく放牧しています。大小合わせて10個の放牧場があり、性別に加えて、馬同士の相性も加味して、チーム分けと放牧場を選んでいます。主に午前中に放牧することが多く、まれに午後から放牧する場合もあります。

夏の暑い時期は、夜間に放牧(昼夜放牧)することもありますが、夜間でも気温が高すぎる場合は、放牧できない日が続くことがあります。

直線距離で海岸まで2.5㎞と、海に近い場所に位置しています。11月以降は冷たい海風が吹き、さらに日本海の湿気を多く含んだ雪が降ります。そのため、冷えからの腹痛を防ぐため、冬は放牧時間が短くなる他、放牧ができない日が続くこともあります。

また、時期に関わらず、状況により、放牧できないこともあります。骨折や屈腱炎など、ケガが原因で松原ステーブルスに来た馬の中には、ケガの完治に年単位で時間がかかる場合も多くあり、完治したと思っても、雨が続いたり、寒くなると古傷が痛む場合もあります。放牧ではしゃいでしまった結果、ケガが悪化することもあり、ケガの部分を庇うが故に別の場所が痛むこともあります。また、逆にケガをしているからと厩舎に残すことで、集団動物である馬の習性から、暴れて逆にケガをしてしまうこともあります。

運動に関しては、ケガがある馬についてはもちろん完治してからです。物音や周囲の状況に慣れるように、少しずつ慣らしていきます。その後、乗り運動を始めます。人間と同じで、軽い運動で身体をほぐしてから本格的な運動に移ります。適度に運動をする事で、腸の活性化につながる他、筋肉維持にもなり、健康維持に役立ちます。

飼育体制

引退馬の養老牧場という点では、全国的にもまだ数少ない牧場です。殺処分寸前から救われた馬たちの中には、健康ではない場合も多くあり、その瞬間瞬間での対応で、その後を大きく左右する場合も多くあります。他の牧場とは飼育の方針、やり方、対応の仕方など、異なる点も多々あると思います。

これまでの人生の中で、松原場長は馬の飼育方法について、試行錯誤を行い、この場所・土地柄・新潟特有の気候に対応した、現在の飼育方法にたどり着きました。

牧場の場所は移すことができませんので、教科書通りでは対応できないことも起こります。その時は、方法を自分で考えて対処しなければなりません。例えば、年間を通じてほとんどの時期で湿度が高いこの場所では、夏は他所よりも多く汗をかくことになり、冬は水気の多い雪で体毛が濡れることになります。どちらの場合も、そうならないような対応を怠ると、そのまま病気にもつながります。汗をかいて、髪が濡れて、風邪をひいてしまう…私たち人間でも同じことではないでしょうか。 

人生のほとんどを馬に携わってきた松原場長を中心に、スタッフたちが愛情を込めてお世話をしています。獣医師や装蹄師とも相談した上で、治療方針を決定しています。また、馬たちの世話をしているスタッフはもちろんのこと、ボランティアの会員も、普段とは違う様子、少しでも気になる様子がある場合は、すぐに松原場長に相談し、その後の対応・処置を決めています。

松原ステーブルスにいる馬たちは、全頭が私たちの家族と思って世話をしています。誰か1頭が寂しい思いをしたり、痛い思いをするのではなく、馬たち全頭に私たち人間も加わり、痛みも楽しみも分かち合って暮らしていきたいと考えています。

みなさまのご理解と、これからも変わらない応援を、心よりお願いいたします。